永谷工務店代表の永谷です。
個人で小さな小さな工務店&設計事務所を運営しております。
今回は私の経歴と建築業への思いを踏まえた記事を書いてみました。
私は1983年鹿児島県南九州市頴娃町の農家生まれ。
高校2年生になると進路をそろそろ決めはじめる時期。
担任の先生から配られた職業ジャンル集をパラパラとめくりながら、
まず決めたのは、やりたくない職業の3選。。。
①農業 一日中野菜を引っこ抜いて運んで洗ってといったしんどい作業を子供の頃から体験済のためやりたくない…
②公務員 定年退職もキャリアプランも年収も決まってて面白くないと感じたためやりたくない…
③スーツネクタイ姿 なんか堅苦しくて、自由にラフな格好の仕事がいいと思ったためやりたくない…
これでだいぶと絞られてきた中で、見てたジャンル集で目にとまったのが、
「グラフィックデザイナー」「CGデザイナー」「空間デザイナー」「設計士」
などなどのクリエイティブな職業。モノをつくる職業。形に残る職業。
図画工作は大好き大得意な子供だったので、直感でそう反応したんだと思います。
その中でも芸術系は現実的に食っていくの難しそうだし、分野は設計士だなと!
それからは、毎週日曜日は市立図書館に行って建築家の本や世界の住宅などの本を見まくる!
設計士になるなら大学の建築学科を経るのが普通だったので受験勉強モードに切り替え。
地元の鹿児島大学を受験。
受からず…。
一浪して、九州大学を受験するもまた受からず…。
それでも建築の道には進みたかったので、建築系の専門学校に行こうと。
どうせ行くなら、行きたいところへ。
そうだ京都へ行こう!と即決。19才。
京都は、伝統建築と現代建築が共存し、オフィスビルのひとすじ隣は京町家といった過去と現在と未来が混在しているようなところで、はじめて来た19才の時から現在でも変わらず魅了されっぱなしです。

京都建築専門学校で学んだが、まだ学び足らず、京都工芸繊維大学に3回生からの編入。
この約4年間で空いた時間は、恩師が主宰する設計事務所でアルバイトをさせてもらいました。主に積算業務を任され、その経験が今でもとても役にたってます。
そして週末土日になると建築現場で肉体労働のアルバイトを。この現場アルバイトはいわゆる人夫出し(にんぷだし)で、解体や鳶や鍛冶工などの職人の手もと作業。
貧乏学生の学業とアルバイト経験とがこんにちの自分の基礎になっております。
講義とバイトに明け暮れて就活は何もせず、大学卒業間近になって、パッと出たアイディアが、
そうだ大工になろう!
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